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2020.12.31
琉球新報 展評 2020年 喜屋武千恵 

岩絵具でつむぐ日常

山岸遼士絵画展「日々とものがたり」

2020年、いつも通りの日々が変わらずに続くものだと思っていた。しかし、それは突然あっけなく崩れ去り、日常は遠い過去の記憶となってしまった気がしていた。 そんな時、那覇市壺屋のGARB DOMINGOにおいて「山岸遼士 絵画展『日々とものがたり』」(9月18日〜10月10日)を見た。昔ながらの趣ある街並みが残るガーブ川近くにその個展会場はある。街路樹の緑に目を細め店に入ると、県内外の作家たちによる個性光る器や小物たちが迎えてくれた。二階へ続く小さな階段を上ると、目の前に植物の葉に覆われた壁を描いた『日々』が現れた。「心に響く風景に出会うと、何度も足を運び納得するまでスケッチをし、その場の空気やその時々の想いも含めて描いている」と作者は言う。グレイッシュなトーンで描かれた18点の絵画作品、そしてそれらに呼応する詩とモチーフとなった石や貝が、まるで標本のように展示されていた。石を描いた『透明なせんそうありました』や巻き貝を描いた『日々はわたしのなか』は、場の空気や光がモチーフと共に一筆一筆丁寧に描き込まれており、窓から差し込む木漏れ日が、岩絵の具の粒子に乱反射しキラキラと輝いて美しかった。
岩絵具と聞いてピンとくる人は多くはないだろう。文字通り岩石を砕いて作られた絵の具で、孔雀石や水晶などからも作られる。岩絵具の一粒一粒、ことばの一語一句が、ものがたりを形作っていく。「幾千もの年月をかけて積み上げられた地層のように/幾百もの年をかけて削られた岩のように/幾月もの日々をかけて現れた絵物語。/毎日、岩絵具を少しずつ重ね/そこにある光や空気を言葉にする(略)」ポツリポツリと言葉を選びながら静かに語る。決して雄弁ではないが、強い信念を感じた。
山岸の作品は寂寥感が漂う。でもそれはなぜか心地よく、見るものを異世界へと誘う。まるで物語の中に入り込んでしまったような錯覚を覚えた。
彼は、お寺や古本屋といった、本来作品を展示することのない場所で個展を開催してきた。今回の展示も、場と作品との繋がりを強く感じさせるものであった。美術館に見られるホワイトキューブの空間とは対照的な、日々の暮らしが感じられる空間。そんな空間と作品が共鳴しあい、独特な世界を創りあげていた。
全ては出会いからはじまる。その中で感じた様々な想いが言葉となり、色となり、岩絵具の層となり作品へと昇華していく。日常へとむけられる愛しい眼差し。
「猫や 貝や 石や 葉や/わたしも/ここに/落ちています(略)いのりにも似た/存在の/(ひめやかな)/ものがたりが/ある」
コロナ渦の中、すっかり世界は変わったかのように感じられたが、それを愛しく見つめ続ける眼差しさえあれば、大丈夫だと思えた。
私は、物語を読み終えたような、幸せな余韻を感じつつ会場を後にした。(日本画家)

山岸遼士『日々はわたしのなか』