2020.12.31
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琉球新報 美術月評 2020年11月 黄金忠博 |
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コロナ禍において生活様式が変貌した今、芸術の必要性がより一層増していることに気づかされた月であった。
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王国時代と繋がり実感
「琉球漆芸の今 受け継がれる技」展
(9/23(水)~2021年1/17(日)浦添市美術館)
浦添市の市制施行50周年の記念展として行われたこの展示会は、琉球王国時代から今、現代が繋がっていることが実感出来る良い展示会であった。王国時代の貝摺奉行所から沖縄県設置後民間工房に移り変わり、昭和初期には観光産業として人気があった漆器であるが、戦後いったんは復興するが生活様式の変化により低迷していくことになる。現在は沖縄県立芸大で学ぶことが出来、後継者の育成に勤しんでいる。また琉球銀行では、地域貢献事業として琉球漆芸の継承を支援する事業を2018年に立ち上げ、琉球漆器の復刻や新たな商品開発、イベント、展示等の事業を開始した。その第1回目の復刻作品も展示され、その成果を見ることが出来た。この事業は、伝統を受け継ぎ新たな展開を見せるためにも、また漆芸文化、技術を絶やさないためにも非常に重要な事業で素晴らしい事である。高い技術の芸術作品があるということは豊かな生活様式、文化があった証拠である。琉球王国時代の生活様式、文化を今後に継承し発展させて、豊かな社会が育まれていくことを願うばかりである。
閉塞感を一掃する活力
「Dialogue MIREI・齋悠記 二人展」
(11/6(金)〜11/15(日)那覇市 RENEMIA)
コロナ禍の閉塞感漂うこの時期に、SNSやオンライン・ミーティング等を通じてコミュニケーションを取り合いながら、日々の生活の中から生まれてきた作品たち。MIREI、齋ともに作家でありながら母親でもある。それぞれの生活の中で、お互い励まし合いながら創作活動を続けてきたという。MIREIは斎の大胆で大きなストロークに、齋はMIREIの繊細な線に影響されたというが、この展示会ではその影響が端々に見受けられる。二人に共通する「鮮やかな色彩」は、響き合いながら会場全体を温かく包み込んでいた。殺伐とした今、芸術がこの空気感を一掃し、日々の生活に潤いと活力を与えてくれることを改めて認識させられた。
記憶呼び起こす媒体に
「奥山泉 個展」
(11/28(土)~12/6(日) 那覇市 miyagiya on the corner)
「頭の中はいつもおしゃべり」というタイトルが印象的である。 奥山の作品を見ると、その独特な世界観に驚きを隠せない。そのイメージや発想はどこから来るのか、不思議な魅力を常に感じていた。その疑問に、今回の個展が答えてくれたような気がする。作品とは、脳内にある何かが具現化したものである。ということは観客者は、奥山の脳の中を覗いていることと同じだ。作品として提示した時には、それぞれの人の記憶や経験に繋がり、それを呼び起こす。その記憶や経験とリンクすることで感動を生む。つまり作品とは、経験や記憶にリンクさせる媒介になっていて、様々な出来事に出会うきっかけとなる存在ではないかと奥山は言う。作品とは様々な記憶や経験の集積であり、断片であり、それを共有することで立ち上がるイメージの具現化なのかも知れない。脳の中にある記憶や経験には形はなく不確かなことであるが、その作品が形あるものとして存在することは確かなことなのである。
漆喰でエネルギー定着
「TOM MAX EXHIBITION vol.3 1990-1999」
(11/12(木)~11/28(土) 那覇市 Luft shop)
真喜志勉の1990年から99年までに制作された漆喰シリーズによる展示会は、ギャラリーラファイエット、RENEMIA,そしてこのLuft shopの3会場で行われた。90年代に入って作風が大きく変化したのは、結核を患い入院療養後のことからという。漆喰は以前から画材としてではなく、壁の補修のため触りはしていたらしい。それまで絵具等でイリュージョンを描き出す絵画から、漆喰という物質を使うことで、自らの肉体的エネルギーを画面上に直接定着させ、実態化させるという表現を見出したのだろう。Luft shopで見た作品は、点数は少ないがそのエネルギーを十二分に感じ取ることが出来た。漆喰に墨や砂鉄を混ぜ合わせ、錆びた鉄片を貼り付けることで表面に変化を持たらせていた。釘のようなもので漆喰表面を引っかきながら描く鋭い線描は、絵筆でキャンバスに絵の具を乗せる行為とは逆である。質量が大きくなるにつれ、肉体的なアクションも大きくなり、そのことでエネルギー量は増大する。その行為は、生に対しての増大した欲求の表れだったのかも知れない。