2015.9.9
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琉球新報 美術月評 2015年8月
8月に見てきた展示会をあらためて思い起こすと、共通したものが見えてきた。それはおのおのの作家の生きざまというものだ。戦後70年たった今なお、沖縄に対しての日米両政府の政策により過去の記憶からいまだ癒されることがない。このことを踏まえた上で、制作を通して”現代”を見据えている作家の生きざまを感じる展示会を紹介したい。 |
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生々しさ醸す作品群
石川竜一
今年、第40回木村伊兵衛写真賞及び日本写真協会賞新人賞を受賞し、大きな注目を集めた石川竜一の写真展「+zkop」(沖縄コンテンポラリーアートセンター、7/4~8/2)は、受賞作の『絶景のポリフォニー』『okinawan portraits 2010-2012』を主体としながら初期作品なども出展され、充実した内容であった。1階と2階とに分かれて展示された作品群から、かつて筆者が初めて沖縄に足を踏み入れた時に感じた強烈な日差し、蒸せるような湿度、人や土地の持つ匂いなどから発する異国感を思い起こさせた。レンズを通してではなく、生の眼で見ているような生々しさを感じさせるものであった。
チープさ不条理煽る
石川真生
沖縄の現状を直視する写真家、石川真生の、歴史上起きた出来事を演出表現した『大琉球写真絵巻(パート1、2)展』(那覇市民ギャラリー、8/26〜30)では、過去に起きた、または今起きている事実をチープな演技、演出表現することでなおさら不条理さを煽る。挑発とも見れる演出された写真と、このような現状の日々を暮らす人々を撮ったポートレートとのコントラストが非常に強く、石川自身の想いの強さがうかがえる。豊かな自然を背景に映る夫婦像には人のやさしさと強さを感じさせ、包帯を巻いた傷ついた少女には、演出されたものと知りつつも痛ましさが胸を突く。
活性化への原動力に
美術の先生がつくった作品展Vol.3
3回目を迎えた『美術の先生がつくった作品展Vol.3』(県立博物館・美術館、8/18~23)は、「学校」をテーマに14人が出品。伊志嶺澄人、高橋晶子の紅型から大池主佳のイラストレーション、浦田健二のCG作品、上原秀樹の立体造形、花城勉、児玉美咲のインスタレーションなど幅の広い表現を見ることができた。中学・高校の美術の先生は、初めて出会う作家と言える。しかし学校では先生という仕事の忙しさからなかなか制作もままならない状態であろうが、この展示会によって作家としての意識を呼び起こされ、また学生にその様を見せることにより、美術に興味を持たせることができる。美術との接点となる美術教師の活発な活動は、美術教育だけでなく今後の美術界を活性化させる大きな原動力になるだろう。今後の継続的な活動を期待したい。
時代の空気感漂わす
沖縄と韓国・写真交流展
『記憶と肖像 沖縄と韓国・写真交流展』(佐喜眞美術館、7/22~8/10)は、戦後70年沖縄美術プロジェクトすでぃるの佐喜眞プロジェクトとして行われたもので、それぞれの作家の眼を通して、沖縄と韓国の歴史的背景から繋がり生まれる感情が写真で表されている。そこに見えてくるものは、『生と死』。人はどのように生き、どのように死んでいくのか?韓錦宣(Han Geum Sun)は時代に翻弄され生きた人たちと風景を、安海龍(Ahn Hae Ryong)は日本軍慰安婦たちの傷の記憶を、比嘉豊光は沖縄戦を経験した人々の肖像を、七海愛は日常におこる「死」をテーマに表現した。韓錦宣(Han Geum Sun)の青緑色の壁の建造物と薄暗いネズミ色の空とのコントラストが美しい作品は、圧迫された時代の空気感を漂わせていた。
過酷さ超えた美しさ
豊永美菜子
豊永美菜子個展『BUEN CAMINO!』(那覇市、言事堂8/25〜9/6)は、作者がフランスからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラまで約800キロの道のりを34日間かけて歩き、その間に撮った写真などを展示したもの。道中、Facebookにその様子が書き込まれリアルタイムで配信していた。世界遺産の教会や建造物、街並などを目にしながら、一歩一歩次の地点を目指す。過酷な旅である事は容易に想像できるが、展示された風景写真からはそれが感じられないくらいすがすがしく美しい。この展示会では、Facebookの日記に加筆、修正を加えた小冊子も作られた。その中で、隣で歩いているその人が国も、年齢も、性別も、宗教も関係なくいとおしくなる、という記述があった。理屈ではなく共に歩き、時間と目的を共有、経験することで深い部分での意思の共鳴が生まれるのではないだろうか。巡礼の旅とはそういう意味を持っているのかもしれない。