2018.5.11
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琉球新報 美術月評 2018年5月 黄金忠博 |
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鑑賞環境の整備必要
第70回沖展
(3/21~4/8 浦添市民体育館)
沖縄の総合芸術公募展として広く県民に親しまれている沖展は、今年で開催70周年を迎えた。今回はパネル展示による第1回から現在までの沖展の歴史を知ることができた。 戦後まもなくニシムイの画家たちが立ち上げたことから、出品の多くは絵画などの純粋芸術が中心になっているのだろう。回を重ねるごとに出品点数が増え、今回は800点を超えるものとなった。
展示会場の確保が問題になっていたらしいが、現在では県立美術館があるので、美術館での開催を希望したい。現在の会場は、照明設備が用意されてないため、作品を鑑賞するには会場内が暗すぎる。また工芸作品(染織)には照明が当たらず、作品が映えない。沖展は県内の芸術家育成や、県民の美的教養を高める役目も担っている。出品作品のレベル向上もあるが、作品を鑑賞する環境を整えていって欲しい。
主観的で純粋な感覚
キラキラのポスポス2
( 4/4〜5/5 BAR前島メロディ)
森田光則・高江洲ひろの・花木豪のデザイナー3人による作品展。普段のデザインの仕事とは違う、それぞれの主観的で純粋な感覚を楽しむことができた。展示場となったBarで「奏でる」をコンセプトに3人ともアナログ作品を製作展示していたが花木豪の作品は、色数を抑えた非常にシンプルなイラストレーションで、表現欲求を妥協なく出し切ることを目的としているようだ。この空間の中でどう見えるのか、絶えず変化する感情をどうやって表に出すのか、素材研究により新たに生まれる表現の発表の場として、経済活動とは別な考えのもとに行なっているという。その制作意識が仕事であるデザインのアイデアや制作モチベーションに繋がっているのであろう。今後の展開が楽しみである。
柔らかく流動的空間
齋悠記 今日のこと 描くこと
(4/14〜22 ギャラリーラファイエット)
エッジのない丸みのあるパネル支持体からも、女性らしい柔らかさを感じる。その表現は抽象表現主義のヘレン・フランケンサーラーを思い起こさせる。色彩の幅が修了制作時から格段に増して鮮やかになっている。留学先のイギリスから沖縄に戻って来た時、それまで見えなかった、感じなかった沖縄の光や色が目に飛び込んできたという。その意識の変革があったからこそ現在の表現へと変化してきたのであろう。 作品は初めからハッキリとしたイメージがある訳ではなく、支持体に生まれてくる色や形と対話しながら徐々に形作られていく。その時の空気感や時間、感情、感覚がそのまま絵画という形になっているのだ。クリアーな色彩が的確に塗り重ねられていき、流動的な絵画空間を組み立てている。
彼女の表現活動は言葉を持たない子どもが、自分の感情を動きや表情などで表したりするのと似ている。
つまり日常生活そのものなのだ。
ミュシャ展ーアールヌーヴォーの華ー
(3/17〜5/6 浦添市美術館)
展示の構成が明快で、ミュシャの生涯が知れた素晴らしい展示会であった。偉大なデザイナーという認識を、今回の展示で大きく変えさせられた。それはパリで得た売れっ子デザイナーという名声を捨てて祖国チェコに戻り、独立した祖国のために無償で国章や郵便切手、紙幣などのデザインを手がけ、晩年大作20枚におよぶ「スラブ叙事詩」を完成させたということから商業デザイナーというより純粋芸術家であったということである。 もともと彼は「装飾的な芸術ではなく、歴史的詩」を表現したかったのだ。パリ時代の装飾的作風からチェコ時代の作風はシンプルで土着的な作風に変化している。どちらも自らの手から生み出される描画技量の高さに驚く。晩年ナチスによる尋問により体調を崩し、祖国の解放を知らないまま生涯を閉じた。ミュシャもまた戦争の被害者であるが、残した作品と実績はこの世から消えることはない。
凝縮し濃厚な空間
沖縄を描いた画家たち展
(3/29〜5/28 佐喜眞美術館)
常設展示となっている「沖縄戦の図」のようにすべてを失ったかのようなこの沖縄で人はその後どのような思いでこの土地に生きてきたのか。その答えがここにあるような展示であった。 館に入ってすぐの自然光が差す壁には、大嶺政寛の風景画、喜屋武千恵の日本画、儀間比呂志の油絵が並ぶ。色彩豊かな内間安瑆の作品群が廊下展示室を照らし、第1室に入ると丸木位里、俊を含む県外作家の作品群、第2室には安谷屋正義、安次嶺金正など県内作家の作品群がひしめき合って展示されている。一見手狭に感じるが、それぞれの作品が放つエネルギーがぶつかり合い凝縮した濃厚な空間となっていた。 戦後直後から現在までという世代を超えた作品たちは、生き抜いてきた人々のエネルギーを表してるかのようだ。人間とはたくましい生き物だとつくづく思い知らされる。そして同時に芸術表現は、生きていくには必要不可欠なものとも感じさせられた。