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2016.3.4
琉球新報 展評

自由な解釈で生まれる形

能勢裕子展「the Form of Forms」

(那覇市上之屋 画廊サエラ 3/1〜3/6)

那覇市新都心にあるギャラリーサエラで3月1日から能勢裕子さんの個展が開催されている。

 個展という形での発表は久しぶりであるが、作品は県内の至るところで目にする。浦添市役所内ロビーに設置されている巨大モニュメントや浦添市内の案内板など、県内パブリックアートの第一人者といえる。
 今回の個展に出品している作品は、誰もが知っているもので出来ている。アルミパンチング板、塩ビ波板、木の杭など建材が主な材料だ。
 特徴的なことは、メタリックな色が塗られていることだ。今ではさほど珍しいことではないが、彫刻のアカデミックな考え方からしてみれば、はみ出た作品ともいえる。それはアカデミックな彫刻に対しての反抗心でもあるという。だから作家の口から彫刻という言葉は、ほとんど出てこない。いうなれば『形』がある。

 2階まで吹き抜けになっている空間に独立して立つ作品は、背後の窓から差し込む光を引き込み、不思議な存在感を醸し出す。半透明の塩ビ波板を透かして届く光の美しさに気づかされたと思えば、メタリックカラーの表面は柔らかくその光を反射させ、物体の重量感や威圧感を消し去っているかのようだ。レリーフ状の作品は、枝木の持つ複雑で有機的な形もあれば、杭の先をさらに鋭く削った形が無機的な形態を強調し、お互いが引き合い響き合っている。アクリルラッカー塗料で彩色された表面からは、元の材質感や重量感が消え、形のみが抽出される。それは強いて言えば色彩のフォルム化といえるのではないだろうか。

 また様々なパーツから全体が形成されているが、枠だけが固定され、パーツそれぞれは固定されていない。つまりそれらは寄り添って成り立っている。だからこそ立つ形が生まれるのだという。

 芸術学的思考、哲学的思考は希薄だと作家本人は言うが、だからこそ既成概念に捉われず、自由な解釈で新しい形が産まれるのであろう。自由な感覚で素材と向き合い、触れ合い対話し、その関係性の中から「形」が生まれてくる。それは作家自身の「生」を証明しているのかもしれない。 その人の手から新たなモノが生まれ、それによって自らの生を確認する。認める。本来、作家とはそういう生き物なのだろう。

 能勢裕子さんの作品を見るたび、自分の陳腐な発想力に嫌気がさす。どんな想像をも軽々と超えて、そのものが自分に迫ってくる。いかに概念に縛られているか、この作品に出会う事で思い知らされる。人は本来自由で個性が尊重されているはずだ。
 だからこういう出会いを待っていたのかも知れない。作品と向かい合う事で、考えて見るのではなく感じるままに見る。感じさせられるものであれと。そして素直に見えたままのものを、そのまま受け止める。しかしどんな考え方も想像も許容してくれる。反発はない。全てを受け入れてくれる。つまり見る方も自由なのだ。感じた事が、全てなのだ。


黄金 忠博



作品001.jpg能勢裕子作品