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2022.10.11
琉球新報 美術月評 2022年9月  黄金忠博

ドローイングコミュニケーション2022

(9/7〜11、沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館)

沖縄芸大絵画専攻において、2008年から始めた授業と展覧会も今年度で15年目を迎えた。それぞれが自由な発想でドローイングという表現方法と向かい合い、その表現の奥行きと可能性を探索する本展覧会は、琉球大学、サラエボ大学ファインアートアカデミー、愛知県立芸大と沖縄芸大絵画専攻、大学院の学生と教員による展覧会である。 ドローイングは本来展示目的で作られるものではなく、本画のためのアイデア・スケッチ、エスキースといった目的で描かれることが多い。それ故に、作家の初期衝動的であり身体的行為でもあるため、感覚がダイレクトに伝わってくることが魅力といえる。また、他の作家作品と展示することで、学生にとっては非常に良い経験の場になったと思う。洗練されていないみずみずしさとむき出しの感覚表現の本展は、完成作品とは違う魅力的な作品群を堪能できた展示会であった。

ドローイングコミュニケーション展イエラルギッチ レア作品

「沖縄人」The Okinawan

(9/3- 9/11 ギャラリーラファイエット)

本土復帰50周年というタイミングで豊見山和美により企画されたグループ展は、「沖縄人」という実体あるいは虚構へ接近する小さな試みだという。 石垣克子、遠藤薫、タイラジュン、仲間伸恵、西永怜央菜、朴永均、HAYATO MACHIDAの7人のアーティストにより作られた空間は、重々しいタイトルに反して、空気が澄んでいてすがすがしさを感じた。仲間伸恵の「どこにいても」には、どんな時代であっても、それに左右されずに生み出される文化と作り手としての強さを感じた。展示された作品群から、沖縄の長い歴史によってつけられた「傷」が癒され「再生」していくことを感じさせてくれた。

沖縄人 仲間伸恵 どこにいても

ジョン・コルニュ個展 "STILL LIFES"

( 9/9-10/16 南城美術館)

アーティスト・イン・レジデンスとは、アーティストが一定の期間、その土地に滞在し常時とは異なる文化環境で作品制作や表現活動を行うことである。 フランスのアーティスト、ジョン・コルニュは、来沖してこの土地の歴史などをリサーチしながら作品を作り上げた。均一に並べられたサンゴで構成された黒いボックス群。鉄筋によるモニュメンタルな作品、日本の障子からインスパイヤされたという黒く塗られた木枠、中庭に構成された御影石の作品などミニマルな作品群とその空間は、沖縄ではなかなか見られない緊張感ある貴重な経験を与えてくれた。
 作品は作家のものではないという考えから、使用したサンゴ等は、すべてもとに戻すという。つまり、ここに展示された作品は、会期後はすべてなくなってしまう。この作家がここ沖縄で何を知り、何を見つけ、何を言いたかったのかは、作品たちが無くなった後は、見た者の記憶の中で育まれていくことになる。この経験から一人一人の中に新たな作品が生まれるのであろう。ジョン・コルニュの作品とは、そのきっかけといえるのではないだろうか。

ジョン・コルニュ展示風景

内田あぐり 在 Existence展

(9/16~11/13 佐喜眞美術館)

現代日本画を代表する内田の沖縄での初個展は、ダイナミックで迫力ある展示会であった。 「深い河=在」は、沖縄を取材し、沖縄独自の環境から得た内田の中に明確になった死生観の表れだという。河(水)の流れの形は、人物のシルエットに呼応し、その動きは、生命の証を表してるかのようである。それらが循環することで、この世界が存在するというように見える。丸木位里、俊からつながる墨による人体の表現も強い存在感を感じさせる。
動くモデルをドローイングする仕事も続けているが、舞踏家をドローイングするワークショップイベントも行い、ドローイングと本作品との関係性を印象付けた。11月12日には、県内を拠点に活動する喜屋武千恵、阪田清子とのアーティストトークがあり、どのような対話が生み出されるのか注目したい。

内田あぐり 深い河ー在

バンクシー&ストリートアーティスト展

(9/16(金)~10/10(月)浦添市美術館)

海外のキュレーター兼コレクターによるプライベート・コレクションの巡回展である本展は、1万人を超える来館者でにぎわっていた。バンクシーは、主にシルクスクリーンの作品を展示、その他のストリート・アーティストの作品も展示されていて、ストリート・アートを広く紹介した展示内容であった。 社会への不満や批判などのメッセージを表現化するストリート・アーティストたちの活動は、1960年代から始まり、バンクシーのシュレッダー事件により、全世界的に知られるようになった。本来ストリートアートは、市街の壁などに描かれることからパブリックアートの性質を持つ。それ故に個人が所有することは難しい。だからアートとしての純粋性を高めているといえよう。しかし、それすら商品化してしまう資本主義社会は、バンクシーのメッセージをどう受け止めているのだろうか?またはこのことすらバンクシーの策にはめられているのだろうか。つまりは、われわれはアートをどのように捉えるべきかを問われているのだろう。社会を形成しているのはわれわれなのだから

バンクシー 「賞賛」