2016.9.7
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琉球新報 美術月評 2016年8月 黄金忠博 |
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見えない力が語る
2016年沖縄写真まぶいぐみ連続写真展vol.5比嘉豊光&田中睦治
(8月20日〜28日・ギャラリーラファイエット)
ありのままの沖縄を撮り続けている比嘉は、1972年の「赤いゴーヤー」と2016年の「時の眼-沖縄」からの出品。壁一面に隙間なく展示されたモノクロの紙焼き写真は、比嘉自身の眼が見てきた光景で、そのまま本人が生きてきた証であると同時に沖縄のたどってきた記録であるともいえるだろう。しかし「赤いゴーヤー」から40年以上経た2016年の「時の眼-沖縄」に見られる光景はあまりにも似過ぎている。時間の隔たりが全くないかのように、シームレスにつながって見えることに驚きを隠せない。これまでの時間はいったい何だったのだろう? 一方、場と自身の関係性を測る田中の作品には、記録という意味性を強く感じたが、立法院の解体作業中と解体後駐車場となった同場所を同じ位置、同じアングルで捉えた作品からは、記録以上に、この事が起こった裏側の見えない力の存在を感じざるをえない。
比嘉と田中の作品から、写真という客観的事実を記録し記憶していく行為の中に、見えない力や感情が醸し出てくる。我々に語りかけてくるようだ。
質感、筆跡目前に
巨匠たちの奇跡展
(6月15日〜8月14日・県立博物館・美術館)
セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどといった西洋美術史に名を残した巨匠たちの作品が一堂に展示されたこの展示会。どれも美術の教科書や画集などで見たことのある作品ばかりが目の前に広がる。本物に触れることが出来た貴重な会であった。これは本物か?という問合せが多くあったという。もちろん紛れもなく本物である。ポール・セザンヌの作品はやはり圧巻であった。色彩の美しさ、筆跡から生まれる何ともいえない質感、絵肌。近くに寄ると見えてくる絵の具の盛り上がりなど、本物であるからこそ感じられるリアリティと感動を味わうことが出来た。 気になったのは、これだけ有名な作品が展示されているにもかかわらず、客足が予想以上に少なかったように思えたことである。このような美術展は好みの問題ではなく、自らの教養を高めるために足を運ばせるべきだと思う。美術館は美術が好きな人たちが集まる場所ではなく、県民全体の教養を高め、深める施設と考え、ぜひ多くの方々に大いに活用していただきたい。
回重ね内容充実
美術の先生がつくった作品展vol.4
(8月16日~21日 県立美術館県民ギャラリー)
学校で美術を教えている先生たちが、「学校」というテーマを見つめてつくる作品展。4年目の開催となる今年は、中学・高校・大学・専門学校で美術を教えている23人もの先生が集まり出品した。年々出品者が増え、今年はギャラリートークを行い、作品と作家の考え方をより深く知ることができる機会が設けられ、より充実した内容になっていた。金城徹や花城勉、浦田健二、上原秀樹らは特に作品の完成度が高く、見ごたえのある作品であった。美術教員が自らの作品を公の場で発表していくことは、作家としての意識を再燃させることだけでなく、美術教育方法としても重要な意味を持つだろう。作品を制作する様を学生に見せる事で、作品との向き合い方を考え、表現することを学ぶ。美術作品を身近に感じ、制作の面白さを実感することができるだろう。このような動きが今後も活発になっていくことで、美術に苦手意識を持つ学生が減っていってくれることを願いたい。また、この会を継続していくことにより、出品者全体のレベル向上にもつながるだろう。今後も期待したい。
斬新な現代陶芸
ドウソウ展
(8月23日~29日・リウボウ7階 美術サロン)
ドウソウ展は、県立芸大大学院陶磁器研究室で学ぶ大学院生と卒業生、教員などによって構成された展示会である。ドウソウ展となって2回目となる今回は8名が出品し、実用的な生活雑器からオブジェまで多種多様な陶磁器作品が展示されていた。 磁器のもつ艶やかな表面が柔らかさを感じさせ、現代的な表現にマッチした小浜由子の作品は、今後の展開が楽しみである。よぎみちこの日常雑器は、シンプルでありながらシャープな形態で、実用性にも優れたものであった。
その他、伝統的な手法にとどまらず斬新なアイデアによる現代的な陶芸表現を楽しめる展示会であった。
学びの結晶並ぶ
県立芸大彫刻専攻前期成果展
(7月29日〜8月4日・県立芸大崎山キャンパス)
彫刻という学問分野はなかなかイメージしづらい。ほとんどの学生は、大学に入学してから、彫刻の専門技術に本格的に触れることになる。芸術大学だからこそ、4年間で技術と意識が身につく。 デッサンから基礎を学び、金属やテラコッタ、石彫、木彫などあらゆる素材・技術に触れながら、立体・空間に対しての意識を深めていく。この展示会はその4年間の教育課程が見えてくるようである。展示作品は、金属やコンクリートなどを使った大型の作品から、木彫の小作品まで多岐にわたるが、それぞれの今の思いや考えを形に昇華させていた。銅や真ちゅうを用いた丹波正淳の作品は、非常に繊細な技術と表現で眼を楽しませた。野垣麦の野外展示の作品は、場・空間の捉え方について考えさせられるものであった。
ここで培われた技術と自己表現の探究心を持って社会の中でもたくましく生きぬき、さらに深めて貢献していってもらいたい。