2020.1.8
|
琉球新報 美術月評 2019年12月 黄金忠博 |
---|
芸術的観点での営み
「退任記念 田中睦治展」
(12/4(水)~11(水)県立芸大附属図書・芸術資料館展示室)
沖縄芸大絵画専攻でミクストメディアを中心に新しい表現方法を指導研究してきた田中教授は、1997年に赴任し23年もの長きの間、多くの学生を指導し、有為な人材を輩出してきた。本展で見る学生時代の写真作品から、来沖後のフィールドワーク作品、ドローイングや版表現作品など膨大な作品群は、われわれに作家の思考性を強く語りかけてくる。特に近年は、布による造形にも力を注いでいる。これら作品群を見ていく中で、芸術とは作られた作品そのものだけを指すのではなく、作品制作を通して社会や文化などと自分との関わり方、構築、認識の深まりなどの行為全てを指すものであるということに気づかされた。つまり生活そのものが芸術的観点で営まれているといえる。退任後も益々の活躍を期待したい。
平面越えた表現実践
「令和元年度 県立芸大 絵画専攻・絵画専修 油画領域 空間表現展」
(12/18~22 県立芸大附属図書・芸術資料館展示室)
その田中教授などから指導を受け、その成果を発表する卒業制作展のプレ展として開催されたものが空間表現展である。おのおの独自の手法で、平面表現の領域を越えた美術表現の実践であるが、指導教員の影響が強く出ているのは明確である。仲地華の造形物は全面に彩色された布と紙によって覆われ、それぞれがある距離をもって配置されている。以前の前面だけの彩色から多面になったことで、より空間的な広がりが強くなったように感じた。比屋根桜は染められた布や紐などを空間に点在させることで、多様性が見られ以前より空間が深まったように感じる。空間表現という意識は非常に強く感じられる展示会であったが、素材に対してもう少し研究の余地がありそうだ。今後県立美術館で行われる卒業制作展でどのように進化するのか、そして社会に出てからの活動でどのように展開していくのかが楽しみである。
作家のまなざし共有
「森本美絵個展『pH』」
(12/13– 2020年1/13 Arts Tropical(那覇市国場))
35ミリのフィルムで撮影された、沖縄の光とは違う、柔らかい光を感じる写真。そこには、時間とともに記憶の中に消えていく、一瞬一瞬起こる何気ない出来事が記録されている。作品には作家は写っていないが、すぐ横にいてそこを見てごらんと示されているように感じるのだ。そのため鑑賞者は作家の眼差しを共有し、作家の存在を強く感じるのである。また展示の仕方・見せ方が、非常に計画的であり感覚的である。作品の配置が均等の高さではなく、音符のように上下に置かれ、全体がまるで楽譜のように見える。音楽のように、ゆったりした心地よい空間を作り上げていた。
文化と風習守る写真
「ときがみつめる八重山の祭祀写真 比嘉康雄・上井幸子 写真展」
(12/18~23 宜野湾市の佐喜眞美術館)
この写真展は、70年代に八重山各地の祭祀を撮影した写真約200点を展示した。比嘉は写真集にて発表しているが、上井は作品発表はほとんど無いに等しく、発表する機会を持てないまま他界した。上井の遺品整理中に大量のネガが発見され、今回この中からの発表となる。ネガから新たにプリントされた上井の写真は、コントラストが弱めで全体的に柔らかい印象を受ける。逆に比嘉はコントラストが強く劇的な印象を受けた。比嘉、上井らが撮影した失われた祭祀、つまり失われた文化が記録されている写真を保管するということは、記録としての信頼性が高いため文化を保管するのと同意といえるだろう。今では見ることのできない祭祀、風習を写真を通じで知ることができるということは、文化・風習が守られていることにつながるのではないだろうか。であれば文化の記録であるネガフィルムを是が非でも後世に残してもらいたい。
現社会反映する紅型
「金城宏次 琉球紅型で描くポップなコザの情景」
(12/1~20/1/6 ライフラウンジ(県立図書館隣))
県認定の工芸士である金城は、吉祥文様の七宝を車のヘッドライトや街の光として表現するなど、紅型の伝統を受け継ぎながらも、独自のデザインで新たな琉球紅型を生み出している。生まれ育ったコザの街をモチーフとして、横文字の入り混じったデザインで作られる紅型は、ポップアートを彷彿させる。「Koza gate st.」はコザゲート通りに存在した看板やネオンサイン等を構成して表現。「コザB.C.st」はネオン看板などで煌びやかに街を照らす繁栄していた頃のコザの街を描いているが、その裏には戦争という現実があったことを密かに伝えている。金城の作品は、表現手法として紅型で制作しているが、どれも現社会を反映させた作品である。過去の伝統工芸もその時代を反映させたものであるから、現代の紅型は今の時代を反映させていくべきであろう。それこそが伝統文化の継承といえるのではないだろうか。